top of page

Profile

福岡生まれ福岡育ち福岡在住の福岡人。

ピアノを主体とした「癒し」をテーマにした楽曲制作を主に行なっている。

が、ゲームや漫画も好きでゲーム音楽も大好き。

音楽ジャンルでいうと

・ヒーリング

・映画音楽

・ゲーム音楽

が大好き。

好きな作曲家は

●故人だと

・ドビュッシー

・バルトーク

・ラヴェル

など。近現代の音楽を好む。

●現在だと

・光田康典

・坂本龍一

・澤野弘之

など。主にインスト音楽の作曲家を好む。

ライブ活動はあまりしていないが、作曲しつつ曲を公開しつつ日々を過ごしている。

↓ここから下はつよぽんの歴史。興味のある方だけお読みください。

​※長文です。

ピアノを3歳より始める。

なんかグループレッスン受けていたような記憶はうっすらあるが、ほぼほぼ覚えていない。

小学生の頃。

特にピアノが好きという訳ではなく習い事の一つとしてただただやっていた。

ピアノよりゲームが好きであった。

音楽にも特に親しくなかったので、ピアノの先生に「何の曲やりたい?」と言われても特に弾きたい曲が無く「何もない」と言うと、「じゃあベートーベンね!」みたいな感じでクラシック音楽ばかりやっていた。

今にして思えばこれは結果的にすごくよかった。

ピアノ演奏の基本の形はこのとき形成されつつあったのでは。

小学校5年生くらいのとき、ピアノを辞めたいと思っていた。

当時は”男のくせにピアノ”みたいな気持ちがあって、母に「辞めたい」と言うと「ダメ」と即答。

断りきれなかった性格の僕は「はい」と返事。続けることに。

このとき辞めないでよかった。母、ありがとう。

中学では部活に入りなさいと言う母の言葉からとりあえず適当に部活を選ぼうと思っていたが、たまたま誘われて見学に行った吹奏楽部。

体験入部が終わって明日は卓球部でも見にいくかと思って帰ろうとしていたときに「明日もくるよね!」と言われ、ここでも断ることができずに「はい」と言ってしまい、そのまま入部。

「楽器は何やりたい?」といわれ、「ピアノ」と応えたが「ピアノは無いよ」と言われ「じゃあ何もない」とまたここでも言ってしまう。

たまたま一番最初に吹いてみて音が出た楽器:Tuba(チューバ)をすることに。

以降、高校卒業までTubaをすることになるとはこの時点では知る由もない。

流れに流されて始めた吹奏楽部であったが人にも恵まれ次第にハマってくる。

中学2年生のときが特にハマってて、吹奏楽・クラシックの曲ばかり聞くようになる。

このときから漠然と、演奏よりも作曲のほうに興味が沸いてきていた。

演奏したい!よりも、作曲したい!という気持ちが強かった。

当時好きだった作曲家は

・ラヴェル

・ストラヴィンスキー

・ジョン・ウィリアムス

・アルフレッド・リード

あたり。このメンツでジョン・ウィリアムスだけちょっと方向性が違う。

ピアノも続けてはいたが、このときは吹奏楽>ピアノであった。

このときもただただ習い事のように弾いていただけで特にピアノが好きって訳ではなかった。が、合唱コンクールでずっと弾き続けていた記憶が鮮明だ。

「時の旅人」って曲好きだったな。

中学校も部活を引退し高校受験のとき。

自分の学力だとこんくらいかな〜という学校があったので、母に「○○高校にいこうと思う」と伝えると、ここでも「ダメ」と即答される。

理由は割愛するが、そうなるとレベルを上げるか下げるか。

下げるのは嫌だったので上げる。

見事合格する。

※サラっと書いてますが結構勉強したんです。

高校に入学。

「もう吹奏楽はやらないぞ!」と帰宅部であった。

吹奏楽をやりたくない理由としては、遊びたかったから。

だが、夏に中学校の後輩のコンクールの演奏を聴きに行って、「やっぱやりたい」と、高校1年の秋に吹奏楽部に入部。

このときだいぶ音楽が好きになっていたのだろう。

高校ではTubaでなくEuphonium(ユーフォニアム)をやりたかった。

Tubaはベースばっかりでメロディをやりたかったからだ。

入部して「ユーフォやりたいです!」って言ったら「中学で楽器何してたの?」と言われ「Tubaです!」と答えると「じゃあ、Tubaね」と決まってしまった。

、、、失敗した。

ここでも断れない、引き下がらないという力を持っていなかった僕はそのまま引退までTubaをすることになる。

 

だが、Tubaでよかったこともある。
Tubaの人数が十分だったため、僕が演奏しなくてもいい曲が多かった。

そのため、パーカッションのヘルプをしたり、学生指揮なども経験させてもらった。バンド全体を指導したりオーケストラスコア(総譜)なども読まざるを得ないため、試行錯誤しながら勉強しながらなんとかやっていた。

これは結果的にすごくよかった。

おかげさまで楽器編成や曲ごとの楽器の使い方など経験と体験を得ることができた。​

指揮もすごく面白かった。

別の人生があったなら、指揮者になりたいとも思う。

楽しんでいた吹奏楽だったが、実はこの時ピアノ>吹奏楽であり吹奏楽は中学校のときほどの熱はなかった。
理由はたぶん↓の出来事があったから。

高校一年の時、運命の曲に出会う。

たまたまテレビで流れた音楽。

坂本龍一:Merry Christmas Mr.Lawrence

戦場のメリークリスマスだ。ピアノソロバージョン。

「なんだこの曲は!?」とてつもない衝撃を受ける。

次の日曜日に楽譜を買いに行く。

随分あとになって気づいたのだが、たまたま手に取った楽譜であったがちゃんと坂本龍一自身が編曲した楽譜だった。よかった。

そしてまたまた随分あとになって気づいたのだが、上のエピソードを人に話したんだ。

そしたらその人から「それってさ、普通楽譜買うんじゃ無くてCD買うんじゃないの?」

、、、そのとおりだ!あんなに衝撃をうけた曲なのに、弾きたい>聴きたいだったらしい。未だに戦メリのCDは持っていない。

たぶん、そんなんだったから、ピアノ>吹奏楽だったんだろう。

ピアノ一台で全てを奏でる魅力に惹きこまれていたらしい。

高校時代はまっていたのが

・ドビュッシー

・小室哲哉

なんだか全く接点のないようなお二人だが、それらの曲が大好きでした。

小室哲哉氏がいたから僕はPOPSに興味を持ち、シンセサイザーに興味を持った。

trf(TRF)やglobeが好きでした。

高校3年の夏。

部活も引退しいよいよ志望大学を決めないとという頃。

吹奏楽辞め、ピアノも辞めた。受験のためである。

だが、僕は行きたい大学が見つからなかった。ここでもまた、「何もない」である。

やりたいことがなかったので行きたい大学もなく、大学に行く意味さえも見出せないでいた。

そんな日々をすごしていたが、時間はどんどん過ぎて行く。

成績はどんどん落ちて行く。

大学に入っても興味のない勉強を4年間もしなければならないのか?と自問自答の日々である。

そんなとき、たまたまピアノの先生の先生にピアノを辞める前にもらっていた音楽大学のパンフレットが部屋の隅に転がってるのをみつける。

「音楽大学か。。。」

パラパラとめくっていると、パソコンを使って音楽をやるという学部があるではないか!

当時はパソコンが一般に認知され始めた頃で、まだほとんどの家庭は持っていなかった。

だが当時、パソコンには音楽の可能性があると僕は感じていた。

「コレができるようになれば、小室哲哉のような音楽ができる!作曲もできる!オーケストラだってなんだって思い通りだ!」と感じ「音楽の勉強なら苦痛なく続けることができる!」

「音楽大学へ行こう!」と決めた。

そのままリビングに行き、母に「音楽大学に行く!」と伝えると「あら、そうね。」と即答。今回はダメではなかった。

それにしてもいつも即答だ。母。

高校3年10月の出来事である。

ピアノ教室の門を再び叩き実技と楽典の勉強。

次の年の2月。合格。

小さい頃からのピアノ演奏やオーケストラスコアを読む勉強などが相当役に立ち、時間は短かったものの、合格できた。

​※大学編・社会人編詳細はまた気が向いた時に追記していきます。​

大学ではコンピュータミュージックを学べる学部に進学。

パソコンを触ったことが無かったのによく合格したものである。

このころよりシンセサイザーやパソコンを駆使して、ピアノソロからオーケストラ、POPSなどジャンルにとらわれず様々に作曲をするようになる。

ユニット組んだり、バンド組んだり紆余曲折しながら

「自分がやりたい音楽はピアノだ!」

と、ピアノを主体とした楽曲制作などを行なっている。

現在サラリーマンをしながらの音楽活動。

ライブはあまりしていないが、日々作曲をしている。

​学生期(高校)
​幼少期
​学生期(中学)
bottom of page